都会のすきま-40代ほどほど暮らしのつくりかた

アラフォーになってもジタバタしている毎日のこと

一月の逡巡

イタリアのお土産として自分で自分に買ったチョコレートがかなり美味しく当たりでした。コロナになってから味覚というか香りの感覚が遠くなって何を食べても楽しくなかったのですが最近やっと戻りつつあります。人って食べ物を香りで食べているんだということに気づきました。

 

さて、最近の私ですが体調を崩したこともあり何か少し無気力気味です。昨年はランニング、英語、仕事など全てを頑張っていたのにどうしたことでしょう。燃え尽きてしまったのかもしれません。体調が回復したらまた野心が出てくるのかもしれないけど、今は「命大事に」モードで無理しないように生きてます。

 

楽しみを作れたらもっとワクワク出来るんでしょうね。年末年始のイタリア旅行という大楽しみイベントが終わり今は直近で楽しみが何もない状態。この日まで絶対生きていたい理由がないことが私をこのように無気力にさせているのかもしれません。

 

帰国後はひたすら眠るか片付けるかしています。片付けは習慣でもあるけれど、今の自分の確認作業でもある気がしています。捨てる、残すを選別することで今の自分を確認している。自分の中でカチッと音がなるまでひたすら細かく整理。書類1枚だって今の自分に必要かどうか問いかける作業です。あとは紙の日記に自分が持ってる資産の合計をまとめたり頭の中のモヤモヤを書き出したりしました。このブログのように公開できる場所も大事だし、公開できない場所にまとまってないことを書き連ねることも私には必要な作業であることを再確認しました。

 

今ある資産と体力を何に注ぎ込むべきなのか。今は自分と相談中。お金も体力も有限なのでなんとなくは使いたくなくて。子供がいるわけでもない40代、まさに君たちはどう生きるか。自分に矢印を突きつけられているような感覚です。

 

今もすでに十分幸せなのですが感覚的には抑圧されている自分をどう解放していくかみたいなところを深掘りしていきたい。(ずっと言ってる気もしますが…)

 

もっと楽に波に乗るように自然に生きられたらいいのにと思います。HSP特有の感覚かもしれませんが悩んでない時がほぼないのです。常にこれでいいのか、と考えてしまいます。

 

年初からすっきりしてない内容ですみません。忙しければ余計なことも考えずに済むと思うのですが年末年始から療養期を経てちょっと考える時間が多かったため、本当の自分は何を求めているんだろうみたいなところを堂々巡りしています。

 

1月って何かこう「新しく何か始めよう」の雰囲気に押されている気がして若干戸惑うというか無駄に焦ってしまいます。晴れている日に出かけなきゃ損のような気持ちになるのと同じで。

 

来る時が来たらきっと自然と動けるはず。

今はその準備期間なんだ、と自分に言い聞かせています。

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