都会のすきま-40代ほどほど暮らしのつくりかた

アラフォーになってもジタバタしている毎日のこと

好きなブログの終わり

ブログを書いている人ならみなさんそうかと思いますが同じく更新を続けるブロガーさんを勝手に同志のように思っています。

 

しかしブログの出会いは一期一会。新しく始めるかたがいればやめられるかたもいます。私が毎日読んでいたブログが閉鎖されるとのことで淋しさを感じています。

しかしこの淋しいという感情もこちらの勝手な気持ちで誰にも始める権利も辞める権利もある。私だって数年前にはてなブログをやっていた時にだんだんと更新しなくなって停止した過去があります。

 

その辞められるかたは自分と近い年齢で持病をお持ちでした。ここで詳しく書くつもりはないけど、その持病が自分の家族の病気とおそらく同じものであり、勝手に親近感を感じていました。辞める理由は色々あるのだろうけど悲観的なものだけではなさそうだったので、本当のところを知る術もありませんが、卒業というお気持ちなのかなと推察しています。

 

ブログにも役割があって、その時の自分を書くことが支えているという時期があると思います。今の私もきっとそうかもしれません。役割が終わったなと感じる時が来てやめることは何ら悲しいことではなく新しい門出。拍手でお見送りしたい、そんな気持ちです。今まで読ませていただいてありがとうございました。

 

ずっと何年も書き続けられる人のほうが稀で、だからこそ今書いている人の書いているものがリアルタイムで読めることがとてもありがたく楽しい。

 

昔にブログをやっていた時にコメントもやりとりする交流のある主婦のかたがいて、私はそのかたの日常ブログがすごく好きだったのだけど突然の閉鎖宣言の後に即すべて削除されていてショックだったことがあります。でもそれで良いのだと思います。大好きな文章がもう読めないというのは悲しいけど現実の世界でも連絡が途絶えてもう会えない知人がいるのと同じですよね。

 

今たまたま同じブログに集っているけれど、明日にはお別れがあるかもしれない。近所に住んでいてたまたますれ違って「あぁどうも」なんて挨拶を交わしているぐらい、もしくはおじぎをするぐらいの関係性かもしれません。しかし時にそんな少し遠い関係性に救われることもあります。

 

公開されている場所で書いているので誰にも読まれる可能性があり、自分の正直な気持ちを書きつつも人を傷つけるようなことは書かない、自分の素性をオープンにしすぎない、というのは気をつけています。こんなアクセス数の少ない弱小ブログでは知り合いに届きようもないのですが楽しく続けるための自分ルールとして。

 

私は自分が書くことも好きですし、同じくらい人の書いたものを読むのも好きです。毎日みんな色んなことがあって色んなことを考えているということを知れるのが楽しいです。私が書いている毎日の駄文も同じように感じてくれる人がいたら嬉しいです。

 

 

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